大人になってくると、「常識」なんて言葉をよく使うようになっているなぁ~なんて最近思ってしまいます。
これについて深く考えたことは無いのですが、少し深く考える機会を持ってみてもいいかも…と今は感じています。
日本は現状で言えばとても豊かな国ですが、ナカナカ「ゼロから始める」なんていうのが難しい国でもあるように感じます。
その要因の一つは余り批判の対象にしたくはないのですが、教育にあるように思うのです。「人と同質化」や「失敗を悪とする」等が影響しているんではないかな?
と思います。ここで常識というのが一部形成されていくように感じます。
とはいえ、PCの普及とともに徐々に「思考したものを現実化」させる仕組みが整ってきた中で言語ベースでは様々な取り組みが始まってきたように思いますし、常識と捉えがちであったものも徐々に希薄化しつつあるのもまた一つの傾向のように思います。ここで常識破壊が起きているわけですね。
それらは実際にサービスとして共感を呼ぶもの、言語ベースで共感(ツイッター等)を呼んでいるもの等など、
その中には、これまでの常識からはどこか外れているように感じています。いままで「こうしてはいけない」という枠組みから外れていると「とんがったもの」に見えたりもしますが、どことなく共感できるような所もあったりもしますし、いわゆる「その人の常識では考えられないもの(やサービス)の現実化」だと言えると思うのです。
今は、自分の思考を現実化ベースに起きやすい環境であるのは間違いが無いように思うのですが、実際問題として「何をどのように実行したいのか」という自分の「want」の部分を上手く自分で引き出していくことが出来るのか…これが重要な要素のように感じます。
ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」なんて本があったように思いますが、上手くいけばそれも比較的簡単に実現できる世の中に変わってきたように思います。
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